【大悲】その3 阿弥陀さま


その3 阿弥陀さま
20数年前、彼と私はお坊さんになるために寮生活をしていた。そんなある日、お勤めを終え、いったん休憩をしに、1階の阿弥陀さまの安置してある広間から、自室のある2階の部屋に移動している途中、階段を上がりきったあたりで、彼は「あそこにいるのが阿弥陀じゃないからね」と独り言のようにつぶやいた。私は、その言の葉を聞き逃すことなくしっかりと受け止めた。彼に言葉こそ返してはいないが、ふり向いて彼のことを見た。私は心の中で、この人は阿弥陀さまがいかなる仏さまなのかをわかっている人なのだと直感的に思った。
彼の言う「あそこにいる」阿弥陀さまとは、私たち寮生が日々拝んでいる1階の広間におられる阿弥陀さまのことだ。彼の言わんとするところは、阿弥陀さまは常に私たちをご覧になってくださり、お念仏する私たちに働きかけてくださるお方なのだ。だから、1階の広間の“ 動かない”仏像は阿弥陀さまではないということである。彼は、阿弥陀さまのやさしさを感じていたのだろう。そうでなければ、あのようなつぶやきは声にならない。その小さな声は、私の心に共鳴した。20年以上昔のことだが、今も私の胸の内にはあの頃のままの彼の声が響きつづけている。
誤解のないようにお伝えをしておこう。決して、お仏像を拝むことを否定しているのではない。阿弥陀さまのお仏像の姿を通して、お念仏者の私たちのために常に“ 動いてくださっている”阿弥陀さまの御心(やさしさ)にふれることが、真の意味でお仏像を拝むということなのである。
阿弥陀さまのことを如来さまとお呼びすることがある。如来とは、真如より来るものを示す。如来さまは“ 動く”のである。私たちお念仏者のために、やさしく、しなやかに・・・。
この駄文では、彼と私の関わりを通して感じた如来さまの御心をお伝えしたく思う。ふとした時に読んでくだされば、幸甚である。その時とは、如来さまがあなたのふところに届いた時であると拝しつつ・・・。
【ペンネーム 如海子】